さだまさしのベストセラー小説「眉山」が今回フジテレビのドラマで放送された。
私は小説、舞台、映画とも見たことがなく、今回が初めてだった。
公式HPより
東京の旅行代理店で働く河野咲子は、ある日、徳島で暮らすただひとりの家族である母・龍子が入院したという報せを受け、慌てて母のもとへ向かった。
咲子が病院を訪ねると、相変わらず気丈に振る舞う母の姿があった。しかし担当医から告げられた母の病気は末期ガンだった。ショックを受ける咲子。さらに、亡くなったら献体をすると決めていた母・龍子の強い意志に愕然とする。咲子は、ふたりきりの家族なのに、何の相談もなくすべて自分ひとりで決断してきた母に寂しさと反発を感じていた。父親がどんな人なのかさえ教えてくれない母…。
悲しみと無力感にいらだつ咲子に、病床の龍子は、眉山を眺めながら、静かに、ゆっくりと、咲子の父親の話を始めた。今まで決して誰にも話さなかった龍子の恋の話を。母の本当の姿を。なぜ、この徳島という土地に住むことになったのか、を。それは30年前の東京、神田の芸者として売れっ子だった龍子(常盤貴子・二役)と、咲子の父親である篠崎孝次郎(山本耕史)との出会いからはじまる―――悲しく切ない愛の物語だった。
http://www.fujitv.co.jp/fujitv/news/pub_2007/07-200.html
あらすじ
その時母は29歳になっていた。芸者としては年増で女将さんからも辞めさせたい雰囲気が伝わっていた。10年かかって貯めたお金を男に騙し取られたりして、すっかり人生が嫌になっていた。
ある晩、お座敷に行かず東京湾の遊覧船に乗り込んだ。
そこで篠崎孝次郎(山本耕史)と出遭ったのだ。
篠崎は今まで大学病院に勤めていたが、父親が亡くなってしまったので、病院を継ぐためにあさっては徳島に帰るという。
お互いに魅かれあった二人は離れがたく、次の日は東京見物をし楽しく過ごす、夜になってお座敷を終わった龍子を篠崎が待っていた。ご馳走したいものがあるということで篠崎のアパートに行き、かつおをご馳走になる。その夜二人は結ばれた。(それは生涯にただ一度のことだったのだ。それで娘の咲子が出来たのだった。)
次の日は徳島に帰る日だった。篠崎のたっての願いで、龍子も一週間休みを取って徳島に行った。徳島までの船の旅、その後の阿波踊りを見たこと、それが龍子にとって夢のような思い出になる。
篠崎にはお見合いした婚約者がいたのだ。篠崎は龍子をつれて帰ることを説明する電話をかけていた。その後姿を見て、龍子は自分が身を引こうと考えその場を離れる。
阿波踊りをはさんだ道の向かい側に二人は向き合う。
「ありがとう。さようなら」と作り笑いした龍子の口が動いた。
そのまま、東京に帰り、3ヶ月、お腹に咲子がいることに気づき、迷いに迷った挙句、大きくなったお腹をかかえて篠崎に会いに行った。しかし物陰から、婚約者とのむつまじい様子、何よりも母親に気に入られている姿を垣間見て、結局会わずに東京に帰り、咲子を生んだ。
龍子は咲子が巣立った後、徳島に来て暮らすことにした。でも自分から篠崎に会いに行くことはなかった。
この話を聞いた咲子は、母に自分の父親を会わせようと父親に会いに行く。
篠崎は母のことを覚えていた。
母は病気がとても重く、もう死も近い。
思い出の阿波踊りの日、母をお祭りに連れて行く。
そこの会場で篠崎と巡りあわせようとしている咲子だった。
母はとても体が衰弱し、痛みも走る。ようやく少し収まって目を上げた母の視界に篠崎が映った。
手を差し伸べながら、近づく二人、そして篠崎の腕の中で目を閉じる龍子。
感想
ほんとにこれほどまでに一途に人を好きで生きられるものかと思う。
何年経っても、一目で相手がわかるのですね。
素晴らしい愛の物語でした。
最後のほうは号泣でした。
あんまり人を好きになったことがない私ですが、羨ましい気がしました。
さだまさしは
本来作家になりたかったそうですが、いい本を書きますね。解夏も良かったし、歌っている歌詞のなかにも素晴らしいものがありますね。
私たちの町には彼の家が有ります。私は会った事がないのですが、見かけた人もかなりいるようです。
昨晩のテレビ「古代エジプト大冒険」を見ました。
一番驚いたのは、ピラミットがお墓ではないという事です。
ピラミットには、元々入り口がなかったそうですが、盗賊が無理やりあけた入り口が後に地震で偶然開いた本来の入り口とぶつかって中を見ることができるようになったそうです。
中は、全く人間が入る事を考えて作った形跡はなく、後に研究で中に入る人の為に梯子や階段が作られました。
古代エジプト人は、太陽を神として信仰していました。太陽に照らされているところがこの世、太陽が沈んでいった先があの世です。
太陽は沈んでもまた翌朝登ってきます。つまり太陽はこの世とあの世を行き来している訳です。
古代エジプトのクフ王は死後も太陽の神ラーと共にあの世とこの世を旅したいと考えました。
人の魂は鳥の形をしたバーと呼ばれていました。
バーはあの世を旅している間にだいぶエネルギーを使ってしまいます。そこでこの世でエネルギーを補給してあの世に備えなくてはなりません。
始まりは朝です。朝、太陽が昇ってきたら、バーは太陽を離れ、ピラミットの中に入りエネルギーを充電します。そして夕方またバーは太陽に戻ります。
魂は、毎日あの世から帰って来る訳です。
あの世から魂が帰ってきた時の一時的の居場所として、死んだ人間をミイラにして置いたのだそうです。
この考え方は日本のお盆に通ずるものがありますね。
ピラミットは奴隷が作ったのではなく、この太陽の神のもと、自分も死んでもまたこの世に帰ってくる事が出来るようにと願う人々によって作られたそうで、とても優遇されていたそうです。
人間は古代エジプト時代の昔から、死ぬのは怖く、死んでも再びこの世に戻る事を願っていたんですね。
私もそう願う一人です。そうして身近の人が亡くなった後、帰って来て欲しいと願う一人です。
公式HP

今年はかのモーツアルトが生誕250年という事での企画で
毎日朝、8時1分から10分間、BS2で「毎日モーツアルト」という番組をやっていました。
以前観た映画「アマデウス」ですっかりモーツアルトに嵌っている私です。前半は知らないでいたのですが、夏頃からは努めて見ていました。
そしてきょうはいよいよ最終回でした。(来週は1年間のまとめでリクエストで曲をかけてくれるらしいです。)
最終回は勿論モーツアルトが亡くなった前日、12月4日の話でした。
最早舌が死人の味がすると語り、見舞いに来た友人たちとまだ未完成だったレクイエムの出来上がっている部分を一緒に歌ったそうです。そして「涙の日」のところまできた時泣き崩れたそうです。
涙の日は、8章節しか書かれていません。そこで命が尽きたのです。
泣き崩れたとは、そこで書く力が尽きたということでしょうか?
いくつにも分かれているレクイエムですが、順番に作ったわけではなく、後の方が先に出来たりしていて、最後に涙の日を作っていて、美しく、悲しく静かに滑り出し、盛り上がった頂点で命が尽きたということも、何か神がかり的な感じがします。そして短いたった8小説の中に全ての思いが込められているように思います。
映画「アマデウス」ではサリエリが依頼して、そうとは知らせず死の床でレクイエムの作曲の手伝いをするようになっていますが、実際にはある伯爵が頼んだ事が一般的になっているようです。
その伯爵は、自分が作曲した曲として亡き妻に捧げたそうですが、
自分が作曲した事にするのですから、代理人を立てて内密にモーツアルトに頼んだそうです。モーツアルトはとてもお金に困っていて、前金で半額を貰ったのですが、それは使い果たしてしまいました。
ところが、レクイエムを完成させることなくモーツアルトは死んでしまいましたので、妻はその後、弟子に完成を依頼したのだそうです。
もし、天才モーツアルトがこの作品を完成させていたのならどんな風になっていたでしょうね。
でも、お金さえ出せば、作曲してもらった曲を自分のものにする事が出来るとは現在では考えられないことです。
モーツアルトは自分がもうすぐ死ぬことを思いながら、レクイエムを作曲していたのですね。
1791年12月5日0時55分、35歳で逝きました。
モーツアルトには何人もの子供が生まれましたが、何ヶ月とか何年という単位で亡くなっています。
今から200年以上前ですから、医学的にも現在のような進歩はしていなかったのでしょうね。
美人薄命という言葉がありますが、天才薄命という言葉も有りそうな気がします。
もしもう少し長く生きていたならどんな曲を残しただろうかと想います。
今日最終回の放送は
「呪われた者」と「涙の日」でした。
35歳で逝く、モーツアルトの無念を思い、泣けました。「呪われた者」(コンフターティス Confutatis)は映画アマデウスでサリエリといっしょに作曲している時に出てきた曲です。
そして「涙の日」(ラクリモサ Lacrimosa)は、かつて田宮二郎が主演した白い巨塔の最終回で流された曲でした。
戦争が終って60年が経つ今年の11月、
以前アニメで観た「火垂るの墓」の実写版を偶然見ました。
始まるとは知らずに見始めてすぐ、これほたるの墓じゃないの?と思いながら見進むと、やはりそうでした。実写版があるとは知らないでいたので、びっくりしました。
アニメ版と同じように、号泣しながら観ましたが、
今日の午後、その再放送があったのです。
今日も有るとは知らずにいて、始まってびっくりしました。
人間が生きるか死ぬかの究極の場に立たされたら、人のことなど考えていられないのですね。心を鬼にしなければ自分が生きられないのですね。
養ってあげようとしたおばさんも、食べ物が無い状況では我が子の命を優先するのも仕方ないのかもしれません。
空襲警報が鳴って皆が防空壕に非難している時、どろぼうに行くしか生きれない清太、
コレが戦争なのですね。
節子が栄養失調で死にそうな時、最後に残っていたお金を使い、泥棒ではなく買おうとしたのに、戦争が終ってお金の価値もなくなっていた。なんとか頼み込んでお米と卵を譲ってもらってきて、お米を研いでいる時、節子の命の火が消えてしまったのです。
また泣きました。自分の泣く声が煩くてテレビが聞こえません。(ノ_・、)
公式ホームページ火垂るの墓 ― ほたるのはか ―
昨年末の連ドラ「女王の教室」
そのスペシャル エピソード1を見ました。
あの、阿久津真矢がどうして鬼になって行ったのかの第一話でした。
あの阿久津真矢が結婚していた事が有って、子供もいたなんて、思ってもいませんでした。
その子供が親の期待に応えたいのにチック症などになってしまって、応えられないのを気に病んでいるんです。親同士の自分をめぐる喧嘩も何とか阻止したい。と小さな心を悩ませている時、蝶々が舞っているのを見かけたのです。ママにプレゼントしたいと思って蝶々を追いかけ、過って川に落ちておぼれてしまうのです。
浮いている子供を見つけた母親、
「強くなるって言ったじゃない」「ママを幸せにするって言ったじゃない」と呼びかけながら人工呼吸をする、心臓マッサージをするんです。
子供を失う親の悲しみは例えようも無いです。
本当に、ドラマでこんなに泣ける事が有るなんて思ってもいませんでした。私はまるで子供のように声を上げて泣きました。
今夜も見るぞ♪
「あいのうた」最終回「あなたに逢えてよかった」野球からの帰り道に倒れた片岡は病院に運ばれた。
医者が覚悟して置くようにという。入院を勧められたけど、断った。
最高のクリスマスにしようね。と語り合う二人。
洋子にとっては、生まれて初めてのクリスマスパ−ティ。そして片岡にとっては人生で最後のクリスマスなのかもしれません。
一番大きなツリーを買って帰る途中で、教会の前を通りかかると結婚式をしていた。
眺める洋子と片岡には複雑な思いが去来したことでしょうね。
飾り付けたツリーの前で片岡は言う。
クリスマスが終ったらこの家を出て行って欲しい
洋子は
「言ってることは解る、でもいやだ。大丈夫私は。。。」
凄い。凄く愛されている自信があるんですね。
洋子と房子が川原で話している時、片岡から言われたことを話す。
洋子は片岡が自分のことを気遣って言っているんだからと思っていた。
いつも笑っていた洋子が房子に今だけごめんと弱音を吐くところ、泣けました。
子供たちはパーティに手品をやることにして飯塚に相談したので飯塚は大喜びでした。
ちょっぴりドジなだけに頼りにされると嬉しいですよね。
片岡と柳沼が話しているところへももこガ来た。
全く鈍感な柳沼は、ももこの好きな人がクリスマスに誘ってくれないと聞いて馬鹿だなと言い合うんですよね。そこまで気が付かないものなんでしょうか。
片岡は柳沼に、自分がいなくなったあと、洋子を頼む。という。
でも恋人になっては嫌だよ。愛ちゃんのこと好きだもの
洋子も柳沼に恋をしてるからとはっきりいう。
柳沼はもし、はじめに自分が引き受けていたら運命は変っていたかもしれないって言うんですが、それはないなと私は思いました。
また、医者に行った片岡に言った、医者の言葉が私の心に残りました。
「人間は命があるから生きているんじゃない。人間は生きたいから、その為に命があるんだよ」
クリスマスパーティで子供の手品の時、
あきが、泣けてきてしまう。
「おとうさん、あき。まだ下手くそなの。でもね。来年はもっと上手くなれる。その次はもっとうまくなれる。」
と話した時、号泣でした。
頑張って上手く出来たあきを片岡が抱きしめ、駆け寄った子供3人を抱く片岡。
みるくってどうゆう犬?すごく演技が上手いんだけど、、、
みるくまで赤いマフラーしていたんですが、房子のプレゼントで柳沼には、赤いマフラーを
飯塚には、毛糸と針と編み方の本っていうのがおもしろかったね。
洋子から片岡へのプレゼントは夏のシャツ
夏になったら海に連れて行ってください
片岡から洋子へのプレゼントは夏の服
夏になったらこれを着ている愛ちゃんを見たいな。
夏は来ないと思っている二人の祈りにジーンときました。
洋子は人に愛されて人を愛する事を知りました。
母親は自分を愛してくれなかったのは愛された事がなかったのではないかと考えるようになって、教会でマリアさまに語りかける。
お母さん、私を生んでくれてありがとう。と心から言える洋子に成長したんですね。
片岡と洋子はお互いに出会った幸運に感謝しあうんです。素晴らしい本物の「愛」ですね。
教会の外に手を繋いで出る二人の目の前には、青い光のクリスマスツリー。
空からは白い雪。
暖かい二人の手。
美しかったです。
私もこれから青い「光物」買いに行ってきます。ヾ(´▽`*)ゝ エヘヘ
これで話はだいたい終わり。
春が巡って来て、柳沼はようやく ももこの思いに気付く。鈍感すぎですね。でも気付いて良かった。
飯塚は房子に告白、房子の答えは
「これからいろんな恋をしていきたいの、そんな恋に飽きていい人でもいいかって思える時が来るかもしれないから、その時まで待って。」
10年も待たされそうな飯塚さんですね。
洋子の話
「春。片岡さんの命の期限が近づいている。
病気が治った訳ではないし、そんな奇跡は無理なのかもしれない。でも、今も彼は笑顔で私の前に居てくれる。愛する人がいる事、そして、愛される幸せを噛み締めるように私は生きている。愛なんていらないと言っていたあの私がだ。
それにほんのほんの少しだけ思う。こうやって笑って生きてさえいれば、有りえない奇跡だって起きてしまうかもしれないって。
だって一度は死のうとした私が今。こうしているのだって奇跡みたいなものだから。」
わー。片岡さんがどうなるかはお預けだったんですね。
どちらとも取れる終わり方で視聴者にゆだねられた訳です。
私は、洋子の言う通り、治った訳ではないけれど、このまま何年も長く生きていかれると信じたいです。それが10年、20年、30年と続いて行って欲しいです。
今回は用意していたバスタオルを使うところはあんまりなかったです。
中くらいなハッピーエンドです。
私もこのドラマから、いろいろと教えて貰いました。
人から愛される事ばかり望んでいないで人を愛する事
黙って抱きしめて泣かせてあげること
奇跡はあるんだということ
私も・・・
「出会えてよかったです。」このドラマに・・・
このドラマについていろいろと語り合ってくださった皆様
ほんとうにありがとうございました。
あいのうた第9話僕が・・・奇跡を起こすんだ。
片岡は病気のことを、子供たちに話さなくてはならないと思いながら、子供のショックを思ってなかなか言い出せないんですよね。
洋子が側にいてくれたらと思ったんですが、洋子は家族でもないのにおかしい。と房子の家に行っちゃったために、なかなか言い出せない時、どうなるんだとハラハラしました。
房子に、「あいちゃんの言ってる事は間違っていないけど、でも違うと思う。もともとあの家に居るってことだって滅茶苦茶でしょ。なんで今更正しいことしようとするのよ。片岡さんはあいちゃんに居て欲しいって言ったんでしょ?片岡さんは結婚は出来ないかもしれないけどそれってプロポーズの返事と同じことじゃないの?」と言われて、洋子は片岡家に走って帰っってきました。
いつも居て欲しい時、片岡さんは側に居てくれたんでしょ?って
ほんとにそうだわね。
洋子の顔をみてようやく決心が付いたんです。
話し始める前から、私は号泣です。
話の内容が解っているからなんですが、解っていながら これだけ泣かせてくれるのが、このドラマの不思議さです。
子供として両親とも死に別れるって解ったら耐えられないですよね。
片岡は子供たちに死ぬほど頑張らなくて良い、自分を好きになれ、そして大事な人を作れ、そうすれなば、強くなれる、優しくなれる。と話した。
洋子はベッドに座ったまま、朝を迎えた。家族のところへ行って見ると、みんなで抱き合って眠っていた。片岡だけが目を覚まして洋子に笑いかけた。
洋子は良く頑張った。えらい。と頭をなでてあげた。
人間はみんな、誰でも弱いところを持っているんですよね。
あんなに笑って強そうな片岡の心の痛みを解ってあげて優しく抱いて泣かせてあげることができるようになった洋子の人間的変貌に目を見張りました。
抱きしめて、黙って泣かせてあげる。そうして褒めてあげる。
こんなことを私は出来ていないと思えるんです。
どんな人間関係にも通用する基本なんでしょうね。
次の日曜日、大の野球の試合を皆で見にいった。
大は補欠、
7回ツーアウトの時、最後のバッターに選ばれた大は片岡の所へ来て言った。
僕がホームランを打つなんてことは奇跡だとコーチが言うんだ。
だから僕は奇跡を起こしたい。軌跡が起きたら、お父さんは死なないんだ。
ツーストライクの後、最後の球を打った大。球は大きく上がった。
フライを捕られると終と言う時、球が地面に落ちた。
「走れー。行け。飛ぶんだ大、」
みんなの祈りが届いて大はホームインした。
凄い。ランニングホームランだ。
奇跡だ。みんな奇跡が起きることを信じた。
でも、帰りがけ、片岡は胃の痛みに苦渋の顔をして倒れてしまった。
奇跡・・・起きそうもないですね。
来週は最終回です。絶対見逃さないようにしたいです。
さだまさしのベストセラー小説「眉山」が今回フジテレビのドラマで放送された。
私は小説、舞台、映画とも見たことがなく、今回が初めてだった。
公式HPより
東京の旅行代理店で働く河野咲子は、ある日、徳島で暮らすただひとりの家族である母・龍子が入院したという報せを受け、慌てて母のもとへ向かった。
咲子が病院を訪ねると、相変わらず気丈に振る舞う母の姿があった。しかし担当医から告げられた母の病気は末期ガンだった。ショックを受ける咲子。さらに、亡くなったら献体をすると決めていた母・龍子の強い意志に愕然とする。咲子は、ふたりきりの家族なのに、何の相談もなくすべて自分ひとりで決断してきた母に寂しさと反発を感じていた。父親がどんな人なのかさえ教えてくれない母…。
悲しみと無力感にいらだつ咲子に、病床の龍子は、眉山を眺めながら、静かに、ゆっくりと、咲子の父親の話を始めた。今まで決して誰にも話さなかった龍子の恋の話を。母の本当の姿を。なぜ、この徳島という土地に住むことになったのか、を。それは30年前の東京、神田の芸者として売れっ子だった龍子(常盤貴子・二役)と、咲子の父親である篠崎孝次郎(山本耕史)との出会いからはじまる―――悲しく切ない愛の物語だった。
http://www.fujitv.co.jp/fujitv/news/pub_2007/07-200.html
あらすじ
その時母は29歳になっていた。芸者としては年増で女将さんからも辞めさせたい雰囲気が伝わっていた。10年かかって貯めたお金を男に騙し取られたりして、すっかり人生が嫌になっていた。
ある晩、お座敷に行かず東京湾の遊覧船に乗り込んだ。
そこで篠崎孝次郎(山本耕史)と出遭ったのだ。
篠崎は今まで大学病院に勤めていたが、父親が亡くなってしまったので、病院を継ぐためにあさっては徳島に帰るという。
お互いに魅かれあった二人は離れがたく、次の日は東京見物をし楽しく過ごす、夜になってお座敷を終わった龍子を篠崎が待っていた。ご馳走したいものがあるということで篠崎のアパートに行き、かつおをご馳走になる。その夜二人は結ばれた。(それは生涯にただ一度のことだったのだ。それで娘の咲子が出来たのだった。)
次の日は徳島に帰る日だった。篠崎のたっての願いで、龍子も一週間休みを取って徳島に行った。徳島までの船の旅、その後の阿波踊りを見たこと、それが龍子にとって夢のような思い出になる。
篠崎にはお見合いした婚約者がいたのだ。篠崎は龍子をつれて帰ることを説明する電話をかけていた。その後姿を見て、龍子は自分が身を引こうと考えその場を離れる。
阿波踊りをはさんだ道の向かい側に二人は向き合う。
「ありがとう。さようなら」と作り笑いした龍子の口が動いた。
そのまま、東京に帰り、3ヶ月、お腹に咲子がいることに気づき、迷いに迷った挙句、大きくなったお腹をかかえて篠崎に会いに行った。しかし物陰から、婚約者とのむつまじい様子、何よりも母親に気に入られている姿を垣間見て、結局会わずに東京に帰り、咲子を生んだ。
龍子は咲子が巣立った後、徳島に来て暮らすことにした。でも自分から篠崎に会いに行くことはなかった。
この話を聞いた咲子は、母に自分の父親を会わせようと父親に会いに行く。
篠崎は母のことを覚えていた。
母は病気がとても重く、もう死も近い。
思い出の阿波踊りの日、母をお祭りに連れて行く。
そこの会場で篠崎と巡りあわせようとしている咲子だった。
母はとても体が衰弱し、痛みも走る。ようやく少し収まって目を上げた母の視界に篠崎が映った。
手を差し伸べながら、近づく二人、そして篠崎の腕の中で目を閉じる龍子。
感想
ほんとにこれほどまでに一途に人を好きで生きられるものかと思う。
何年経っても、一目で相手がわかるのですね。
素晴らしい愛の物語でした。
最後のほうは号泣でした。
あんまり人を好きになったことがない私ですが、羨ましい気がしました。
さだまさしは
本来作家になりたかったそうですが、いい本を書きますね。解夏も良かったし、歌っている歌詞のなかにも素晴らしいものがありますね。
私たちの町には彼の家が有ります。私は会った事がないのですが、見かけた人もかなりいるようです。
昨晩のテレビ「古代エジプト大冒険」を見ました。
一番驚いたのは、ピラミットがお墓ではないという事です。
ピラミットには、元々入り口がなかったそうですが、盗賊が無理やりあけた入り口が後に地震で偶然開いた本来の入り口とぶつかって中を見ることができるようになったそうです。
中は、全く人間が入る事を考えて作った形跡はなく、後に研究で中に入る人の為に梯子や階段が作られました。
古代エジプト人は、太陽を神として信仰していました。太陽に照らされているところがこの世、太陽が沈んでいった先があの世です。
太陽は沈んでもまた翌朝登ってきます。つまり太陽はこの世とあの世を行き来している訳です。
古代エジプトのクフ王は死後も太陽の神ラーと共にあの世とこの世を旅したいと考えました。
人の魂は鳥の形をしたバーと呼ばれていました。
バーはあの世を旅している間にだいぶエネルギーを使ってしまいます。そこでこの世でエネルギーを補給してあの世に備えなくてはなりません。
始まりは朝です。朝、太陽が昇ってきたら、バーは太陽を離れ、ピラミットの中に入りエネルギーを充電します。そして夕方またバーは太陽に戻ります。
魂は、毎日あの世から帰って来る訳です。
あの世から魂が帰ってきた時の一時的の居場所として、死んだ人間をミイラにして置いたのだそうです。
この考え方は日本のお盆に通ずるものがありますね。
ピラミットは奴隷が作ったのではなく、この太陽の神のもと、自分も死んでもまたこの世に帰ってくる事が出来るようにと願う人々によって作られたそうで、とても優遇されていたそうです。
人間は古代エジプト時代の昔から、死ぬのは怖く、死んでも再びこの世に戻る事を願っていたんですね。
私もそう願う一人です。そうして身近の人が亡くなった後、帰って来て欲しいと願う一人です。
公式HP

今年はかのモーツアルトが生誕250年という事での企画で
毎日朝、8時1分から10分間、BS2で「毎日モーツアルト」という番組をやっていました。
以前観た映画「アマデウス」ですっかりモーツアルトに嵌っている私です。前半は知らないでいたのですが、夏頃からは努めて見ていました。
そしてきょうはいよいよ最終回でした。(来週は1年間のまとめでリクエストで曲をかけてくれるらしいです。)
最終回は勿論モーツアルトが亡くなった前日、12月4日の話でした。
最早舌が死人の味がすると語り、見舞いに来た友人たちとまだ未完成だったレクイエムの出来上がっている部分を一緒に歌ったそうです。そして「涙の日」のところまできた時泣き崩れたそうです。
涙の日は、8章節しか書かれていません。そこで命が尽きたのです。
泣き崩れたとは、そこで書く力が尽きたということでしょうか?
いくつにも分かれているレクイエムですが、順番に作ったわけではなく、後の方が先に出来たりしていて、最後に涙の日を作っていて、美しく、悲しく静かに滑り出し、盛り上がった頂点で命が尽きたということも、何か神がかり的な感じがします。そして短いたった8小説の中に全ての思いが込められているように思います。
映画「アマデウス」ではサリエリが依頼して、そうとは知らせず死の床でレクイエムの作曲の手伝いをするようになっていますが、実際にはある伯爵が頼んだ事が一般的になっているようです。
その伯爵は、自分が作曲した曲として亡き妻に捧げたそうですが、
自分が作曲した事にするのですから、代理人を立てて内密にモーツアルトに頼んだそうです。モーツアルトはとてもお金に困っていて、前金で半額を貰ったのですが、それは使い果たしてしまいました。
ところが、レクイエムを完成させることなくモーツアルトは死んでしまいましたので、妻はその後、弟子に完成を依頼したのだそうです。
もし、天才モーツアルトがこの作品を完成させていたのならどんな風になっていたでしょうね。
でも、お金さえ出せば、作曲してもらった曲を自分のものにする事が出来るとは現在では考えられないことです。
モーツアルトは自分がもうすぐ死ぬことを思いながら、レクイエムを作曲していたのですね。
1791年12月5日0時55分、35歳で逝きました。
モーツアルトには何人もの子供が生まれましたが、何ヶ月とか何年という単位で亡くなっています。
今から200年以上前ですから、医学的にも現在のような進歩はしていなかったのでしょうね。
美人薄命という言葉がありますが、天才薄命という言葉も有りそうな気がします。
もしもう少し長く生きていたならどんな曲を残しただろうかと想います。
今日最終回の放送は
「呪われた者」と「涙の日」でした。
35歳で逝く、モーツアルトの無念を思い、泣けました。
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「呪われた者」(コンフターティス Confutatis)は映画アマデウスでサリエリといっしょに作曲している時に出てきた曲です。
そして「涙の日」(ラクリモサ Lacrimosa)は、かつて田宮二郎が主演した白い巨塔の最終回で流された曲でした。
戦争が終って60年が経つ今年の11月、
以前アニメで観た「火垂るの墓」の実写版を偶然見ました。
始まるとは知らずに見始めてすぐ、これほたるの墓じゃないの?と思いながら見進むと、やはりそうでした。実写版があるとは知らないでいたので、びっくりしました。
アニメ版と同じように、号泣しながら観ましたが、
今日の午後、その再放送があったのです。
今日も有るとは知らずにいて、始まってびっくりしました。
人間が生きるか死ぬかの究極の場に立たされたら、人のことなど考えていられないのですね。心を鬼にしなければ自分が生きられないのですね。
養ってあげようとしたおばさんも、食べ物が無い状況では我が子の命を優先するのも仕方ないのかもしれません。
空襲警報が鳴って皆が防空壕に非難している時、どろぼうに行くしか生きれない清太、
コレが戦争なのですね。
節子が栄養失調で死にそうな時、最後に残っていたお金を使い、泥棒ではなく買おうとしたのに、戦争が終ってお金の価値もなくなっていた。なんとか頼み込んでお米と卵を譲ってもらってきて、お米を研いでいる時、節子の命の火が消えてしまったのです。
また泣きました。自分の泣く声が煩くてテレビが聞こえません。(ノ_・、)
公式ホームページ火垂るの墓 ― ほたるのはか ―
昨年末の連ドラ「女王の教室」
そのスペシャル エピソード1を見ました。
あの、阿久津真矢がどうして鬼になって行ったのかの第一話でした。
あの阿久津真矢が結婚していた事が有って、子供もいたなんて、思ってもいませんでした。
その子供が親の期待に応えたいのにチック症などになってしまって、応えられないのを気に病んでいるんです。親同士の自分をめぐる喧嘩も何とか阻止したい。と小さな心を悩ませている時、蝶々が舞っているのを見かけたのです。ママにプレゼントしたいと思って蝶々を追いかけ、過って川に落ちておぼれてしまうのです。
浮いている子供を見つけた母親、
「強くなるって言ったじゃない」「ママを幸せにするって言ったじゃない」と呼びかけながら人工呼吸をする、心臓マッサージをするんです。
子供を失う親の悲しみは例えようも無いです。
本当に、ドラマでこんなに泣ける事が有るなんて思ってもいませんでした。私はまるで子供のように声を上げて泣きました。
今夜も見るぞ♪
「あいのうた」最終回「あなたに逢えてよかった」野球からの帰り道に倒れた片岡は病院に運ばれた。
医者が覚悟して置くようにという。入院を勧められたけど、断った。
最高のクリスマスにしようね。と語り合う二人。
洋子にとっては、生まれて初めてのクリスマスパ−ティ。そして片岡にとっては人生で最後のクリスマスなのかもしれません。
一番大きなツリーを買って帰る途中で、教会の前を通りかかると結婚式をしていた。
眺める洋子と片岡には複雑な思いが去来したことでしょうね。
【この続きを読む】
飾り付けたツリーの前で片岡は言う。
クリスマスが終ったらこの家を出て行って欲しい
洋子は
「言ってることは解る、でもいやだ。大丈夫私は。。。」
凄い。凄く愛されている自信があるんですね。
洋子と房子が川原で話している時、片岡から言われたことを話す。
洋子は片岡が自分のことを気遣って言っているんだからと思っていた。
いつも笑っていた洋子が房子に今だけごめんと弱音を吐くところ、泣けました。
子供たちはパーティに手品をやることにして飯塚に相談したので飯塚は大喜びでした。
ちょっぴりドジなだけに頼りにされると嬉しいですよね。
片岡と柳沼が話しているところへももこガ来た。
全く鈍感な柳沼は、ももこの好きな人がクリスマスに誘ってくれないと聞いて馬鹿だなと言い合うんですよね。そこまで気が付かないものなんでしょうか。
片岡は柳沼に、自分がいなくなったあと、洋子を頼む。という。
でも恋人になっては嫌だよ。愛ちゃんのこと好きだもの
洋子も柳沼に恋をしてるからとはっきりいう。
柳沼はもし、はじめに自分が引き受けていたら運命は変っていたかもしれないって言うんですが、それはないなと私は思いました。
また、医者に行った片岡に言った、医者の言葉が私の心に残りました。
「人間は命があるから生きているんじゃない。人間は生きたいから、その為に命があるんだよ」
クリスマスパーティで子供の手品の時、
あきが、泣けてきてしまう。
「おとうさん、あき。まだ下手くそなの。でもね。来年はもっと上手くなれる。その次はもっとうまくなれる。」
と話した時、号泣でした。
頑張って上手く出来たあきを片岡が抱きしめ、駆け寄った子供3人を抱く片岡。
みるくってどうゆう犬?すごく演技が上手いんだけど、、、
みるくまで赤いマフラーしていたんですが、房子のプレゼントで柳沼には、赤いマフラーを
飯塚には、毛糸と針と編み方の本っていうのがおもしろかったね。
洋子から片岡へのプレゼントは夏のシャツ
夏になったら海に連れて行ってください
片岡から洋子へのプレゼントは夏の服
夏になったらこれを着ている愛ちゃんを見たいな。
夏は来ないと思っている二人の祈りにジーンときました。
洋子は人に愛されて人を愛する事を知りました。
母親は自分を愛してくれなかったのは愛された事がなかったのではないかと考えるようになって、教会でマリアさまに語りかける。
お母さん、私を生んでくれてありがとう。と心から言える洋子に成長したんですね。
片岡と洋子はお互いに出会った幸運に感謝しあうんです。素晴らしい本物の「愛」ですね。
教会の外に手を繋いで出る二人の目の前には、青い光のクリスマスツリー。
空からは白い雪。
暖かい二人の手。
美しかったです。
私もこれから青い「光物」買いに行ってきます。ヾ(´▽`*)ゝ エヘヘ
これで話はだいたい終わり。
春が巡って来て、柳沼はようやく ももこの思いに気付く。鈍感すぎですね。でも気付いて良かった。
飯塚は房子に告白、房子の答えは
「これからいろんな恋をしていきたいの、そんな恋に飽きていい人でもいいかって思える時が来るかもしれないから、その時まで待って。」
10年も待たされそうな飯塚さんですね。
洋子の話
「春。片岡さんの命の期限が近づいている。
病気が治った訳ではないし、そんな奇跡は無理なのかもしれない。でも、今も彼は笑顔で私の前に居てくれる。愛する人がいる事、そして、愛される幸せを噛み締めるように私は生きている。愛なんていらないと言っていたあの私がだ。
それにほんのほんの少しだけ思う。こうやって笑って生きてさえいれば、有りえない奇跡だって起きてしまうかもしれないって。
だって一度は死のうとした私が今。こうしているのだって奇跡みたいなものだから。」
わー。片岡さんがどうなるかはお預けだったんですね。
どちらとも取れる終わり方で視聴者にゆだねられた訳です。
私は、洋子の言う通り、治った訳ではないけれど、このまま何年も長く生きていかれると信じたいです。それが10年、20年、30年と続いて行って欲しいです。
今回は用意していたバスタオルを使うところはあんまりなかったです。
中くらいなハッピーエンドです。
私もこのドラマから、いろいろと教えて貰いました。
人から愛される事ばかり望んでいないで人を愛する事
黙って抱きしめて泣かせてあげること
奇跡はあるんだということ
私も・・・
「出会えてよかったです。」このドラマに・・・
このドラマについていろいろと語り合ってくださった皆様
ほんとうにありがとうございました。
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あいのうた第9話僕が・・・奇跡を起こすんだ。
片岡は病気のことを、子供たちに話さなくてはならないと思いながら、子供のショックを思ってなかなか言い出せないんですよね。
洋子が側にいてくれたらと思ったんですが、洋子は家族でもないのにおかしい。と房子の家に行っちゃったために、なかなか言い出せない時、どうなるんだとハラハラしました。
房子に、「あいちゃんの言ってる事は間違っていないけど、でも違うと思う。もともとあの家に居るってことだって滅茶苦茶でしょ。なんで今更正しいことしようとするのよ。片岡さんはあいちゃんに居て欲しいって言ったんでしょ?片岡さんは結婚は出来ないかもしれないけどそれってプロポーズの返事と同じことじゃないの?」と言われて、洋子は片岡家に走って帰っってきました。
いつも居て欲しい時、片岡さんは側に居てくれたんでしょ?って
ほんとにそうだわね。
洋子の顔をみてようやく決心が付いたんです。
話し始める前から、私は号泣です。
話の内容が解っているからなんですが、解っていながら これだけ泣かせてくれるのが、このドラマの不思議さです。
子供として両親とも死に別れるって解ったら耐えられないですよね。
片岡は子供たちに死ぬほど頑張らなくて良い、自分を好きになれ、そして大事な人を作れ、そうすれなば、強くなれる、優しくなれる。と話した。
洋子はベッドに座ったまま、朝を迎えた。家族のところへ行って見ると、みんなで抱き合って眠っていた。片岡だけが目を覚まして洋子に笑いかけた。
洋子は良く頑張った。えらい。と頭をなでてあげた。
人間はみんな、誰でも弱いところを持っているんですよね。
あんなに笑って強そうな片岡の心の痛みを解ってあげて優しく抱いて泣かせてあげることができるようになった洋子の人間的変貌に目を見張りました。
抱きしめて、黙って泣かせてあげる。そうして褒めてあげる。
こんなことを私は出来ていないと思えるんです。
どんな人間関係にも通用する基本なんでしょうね。
次の日曜日、大の野球の試合を皆で見にいった。
大は補欠、
7回ツーアウトの時、最後のバッターに選ばれた大は片岡の所へ来て言った。
僕がホームランを打つなんてことは奇跡だとコーチが言うんだ。
だから僕は奇跡を起こしたい。軌跡が起きたら、お父さんは死なないんだ。
ツーストライクの後、最後の球を打った大。球は大きく上がった。
フライを捕られると終と言う時、球が地面に落ちた。
「走れー。行け。飛ぶんだ大、」
みんなの祈りが届いて大はホームインした。
凄い。ランニングホームランだ。
奇跡だ。みんな奇跡が起きることを信じた。
でも、帰りがけ、片岡は胃の痛みに苦渋の顔をして倒れてしまった。
奇跡・・・起きそうもないですね。
来週は最終回です。絶対見逃さないようにしたいです。
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